ものつくり大学やKSD事件の村上正邦と佐藤優の対談。国家主義者の2人の話はこれから日本をどうしたらいいか、それを考える一つの材料になる。
詳しい中身は佐藤優の本を読んだ人ならおなじみのことが多い。
面白かったのは田原総一朗が佐藤優にチクった竹中平蔵と小泉の話である。
(郵政民営化の話の流れで)
佐藤(優):いや、それでね、田原総一朗さんが「フォーラム神保町」で明かしてくれたんですが、郵政民営化について竹中さんから相談を受けたと。竹中さんは突然、小泉さんが言い出して、それから理屈つくってくれと言われたらしいんです。竹中さんから田原さんは「とりあえず理屈つくるから聞いてくれ」と言われたと。それを田原さん聞いて、「わかんねぇ」と言ったらしい。そしたら竹中さん、「わかりませんか。じゃあ、別の理屈をつくってきます」と。そういうことを三回やったって言ってましたよ。ご本人の証言ですからね。
『大和ごころ入門』 P.194
これとは別に、勝間和代さんのラジオに出演した元財務省官僚の高橋洋一の話でも、日銀が当時金融担当大臣だった竹中平蔵の話をちっとも聞き入れてくれない、みたいな話をしていた。
結局この竹中平蔵という男は都合の良いように担ぎ出されただけだったのではないだろうか。
何か感想を述べるとき、何に較べてそう感じるのか、比較対象を明示してもらうとわかりやすいかなと思った。テレビを見ながら。
自分はiPhoneではなく、iPod touchを使っている。
通話が出来ないけれど、無線LANでインターネットは使えるし、AppStoreで購入したアプリもiPhone特有の機能(カメラとか)を除けば問題なく使える。
使った感想を云えば、インターネットを使う端末としては間違いなく現状では最高のものであると断言出来る。
- マルチタッチを使ったUIが直感的で扱いやすい。
- ソフトウェアキーボードが他のスマートフォンに較べると打ちやすい。
- iTunesから簡単にアプリをダウンロードして使える。
上記項目は現状の日本の携帯電話、WindowsMobileでもうまく対応出来ていないと思う(まだ自分が知らないだけかも知らないが)。
特にアプリケーションを使い慣れたiTunes Storeから検索でき、簡単にインストール出来るというのが素晴らしい。
いちいちインストーラーをダウンロードする必要も無いし、要らない、使えないと思ったら簡単に削除できる。
要は小さいパソコンであり、インターネット端末なのだ。
正直云ってiPhoneの通話機能なんておまけなんじゃないかと思う。
だからiPhoneと日本の携帯を較べる方がおかしい。
iPhoneと比較するのであれば、イーモバイルのEM-ONEとかWillcomD4とかが正しい対象だろう。
実際にiPhone/iPod touchを使ってみればこれらの端末が「電話」ではなく「小さいPC(Mac)」なのだとすぐに気付くはずである。
使えばわかる。
iPhoneの本当のライバルは日本の携帯電話なんかではない。
本当のライバルはネットブック+HSDPA(モバイルインターネット)なのだと。
livedoorのミニブログチックな『nowa』というものを使うことにした。
ここのブログで真面目な記事を書いていたら、不真面目で適当な記事が書きづらくなっていたことに気付いたので、それをnowaブログに代用させようということだ。
フルーツポンチなつぶやき
問題は、こうして書くところがバラバラになるとひとつにまとめづらい。
ということでFriendFeedも使うことに。これでなんとかまとまるかなぁ。
この本では、国民国家の力の源泉には中間組織としての市民社会であると論ずる。
企業社会や地域社会、趣味の社会でもいい、そういったものに個人が参加して、その中で意見が醸成されて国政に反映される。
これが間接政治である。直接反映されないことで感情的な意見から、客観的で冷静な意見として伝えられる。
また、こういったコミュニティに属することで個人が社会の一員であることを感じたり、またその個人に何か不運が起きても受け皿として機能してくれる。
これこそが民主主義であり国民国家であるというのである。
なるほど。
そう考えると、合理化の名の下に次々と曖昧な繋がりを潰していき、結果的に社会から中間組織を消し去ってしまった構造改革というものが、どれほどこの国にダメージを与えるものであったか。現状の社会状況を見ると納得することばかりだ。
この本の話で面白いのは、戦前のナショナリズムから全体主義へ傾く前の時代は今以上に自由主義の時代であったそうだ。そういえば野口悠紀雄の本にもそんなことが書いてあった。
自由主義によって貧富の差は拡大し社会不安が増大した結果、市民社会という中間組織を失い、個人と国家が直接結びついてしまう暴走したナショナリズム=全体主義を生み出す。
そんな怖い話が、今まさに大不況、失業者が大量に溢れからんとする状況の日本と、明らかに重なって見えるのは僕だけだろうか。
この本を読んで見識が広がった。著者自身が言うように文才は無い。でも秀才だ。
ナショナリズムについて新しい視点が加わることは間違いない。
インターネット、カフェ、暖かい飲み物、コンピュータ、ガジェット、アニメ、ゲーム、小説、歴史、考えること、写真、映画、絵画、動物、そして世界。
こういう頭の体操は、ちょっと楽しい。
顧客を育ててこなければ、買う人間なんて現れないだろう、ってお話だ。
ソニーのブルーレイが売れていない。
そりゃそうだ。一台十万円以上するテレビでないと効果を発揮出来ないメディアなんて、この世界で買う人間はどれほどのものか。
しかもブルーレイは高級車と違い、一台売れてもそれほど大きな利益に成らない。
これは高級なメディアではなく、次世代のメディアであるから、DVDと同じかそれ以上売れないと意味がないのだ。
ところがどっこい売れません。なぜならば、ブルーレイの性能が必要ないから。
確かにハイビジョンは綺麗だ。ハイビジョンテレビでスペースシャトルの発射シーンなんて観た日には、心が震えているのを実感出来るくらい素晴らしい。それは解るんだ。
でも所詮は娯楽なのである。
大金をつぎ込んでまで、綺麗な画面が観たいと思う人間はどれだけいるだろうか。大抵の人間はそこまでしたいとは思っていないんだ。もしそこまでさせたいと願うのならば、顧客の目を養わせないと行けなかった。
けれども、現在多くの人が目にする地上波テレビの質の悪さときたらどうだ。
クローズアップばかりで構図の美しさを出せない、鬱陶しいだけの低品質なTVドラマ。画面の質なんてまったく問われないバラエティ。自然の情景よりも食い物ばかり映す旅番組。
ソニーはスポンサーとしてもっとテレビ番組の質に文句を云うべきだったのだ。確かに彼らが100%スポンサーとして出していた世界遺産は良い番組だった。けれどもそれだけではダメだ。金を出しているのならもっと口も出すべきだった。
結果的にあの程度の番組であるのであれば、YouTubeだって問題ない。
そしたら、そしたらブルーレイは大容量だし、大容量ならばデータの保存にも使えるじゃないか、と考える人も居るかもしれない。
実は光メディアはとても劣化に弱い。DVDなんて傷の場所が悪ければ、中身のデータを全く取り出せなくなる可能性だってあるのだ。そのDVDよりも緻密になったブルーレイは云わずもがな。
今や大容量HDDは激安と云える値段で買える。年間5千円程度でバックアップ機能のあるオンラインストレージサービスも利用できる。iTunesではHDの番組や映画を配信していたりする。データは光メディアを通さず、直接大容量のHDDや、低電力で壊れにくいSSD(HD-DVDから撤退した東芝の十八番だ!)に保存すれば良い。
メディアのためにコンテンツがあるんじゃない。
コンテンツを配信するためにメディアがあるんだ。
あいだにモノを介在させない方が、広まるに決まっている。
だからこの場合、敗者がどちらかなんて、云うまでもないことなのだ。
毎日どこかしらのベローチェに立ち寄るのだが、昨日入ったベローチェの砂糖があまりにも少なかったので笑ってしまった。
いくら経済危機とか原料高(もう違うけれど)とはいえ、いくら何でも減らし過ぎだろう。
もしかしたら自分の開けた砂糖だけが少なかったのかもしれないが、社会がヤバい局面に入ったことを感じずには居られない。
社会がヤバい状況を体感した事例をもう一つ。
池袋の地下通路には浮浪者が床に寝そべっていることが多い。
と云っても普段は通路の端から端まで、居ても2、3人くらいである。
ところが先週の日曜日、同じ通路を通ったら、柱一本につき浮浪者が2人という状況で、そのあまりに異常な増え方を目にした時に「これはかなり危ないのではないか」と感じずには居られなかった。
失業者が街に溢れている。
自分は意識的にそういう街を避けているが、たまに通り過ぎると日本の暗部を垣間見た気がした。
追記:
後日、御茶ノ水のベローチェで砂糖の量を確認したら普通(の少なめ)だった。
だから秋葉原のベローチェの、自分の手にした砂糖がたまたま少なめだったのだろう。
ベローチェの悪口を書くと訴訟でも起こされそうだし、こうしてすぐに訂正しましたよ。
ほんよみ - 本好きのための書評ブログ検索サービス
Amazon Web ServiceとGoogle App Engineをメインに、主にGoogleのAPIを使って制作。
App Engineの制約(というか実力不足)のおかげで、とてもシンプルなものになっている。
キーワードから書籍を検索して、その書籍に関連するブログを表示するだけ。他は何も無い。
本当は書評から書籍を探せるようなものの方が良かったかもしれないと、今更思う。
まあこのアイデアはいつの日か使うことがあるでしょう。
とっとと次のアイデアに取り掛かろう。