さっそく入れてみた。
この書き込みはQuickPressを使っている。
どんな風に表示されるのか。
書いたコードを一つの所で管理したいと思ったら、やはりSVNのようなリポジトリが欲しい。
欲しいけど、わざわざサーバにセットアップするのも面倒そうだなあ、などと思う。
そこで以前、仕事で使ったことのある「バックログ」なるプロジェクト管理サービスにSubversionが使えたことを思い出し、早速個人用にアカウントを取得。
有料版ではガントチャートも使えるようになったらしく、相変わらず使い勝手がいい。
しかし、問題もなくはなく。
SVNとファイルアップロードの合計容量が、フリー版だと20MBもない。
これだといつか溢れちゃいそうだなあ、心配だ。ということで他のサービスも探すことにしたのである。
それで見つけたのがここ。
http://unfuddle.com/
フリープランで容量が200MBと書いてある。
使い勝手もオープンソースのプロジェクト管理に比べても良い感じ。
バックログに劣る点はフリー版だとSSLでのSVNアクセスが無いこと。
でも仕事で使っているわけでもないし、その辺りは気にしないことにする。
今回始めて英語のプロジェクト管理を使ったのだが、ツールが日本語ではなく英語であることはむしろ利点なような気もする。
その理由は、コードを書く身としてシンプルな命令系の単語を常日頃から読んで書いてを行うことになるので、その感覚がそのまま、コードを書くのに反映されるからだ。
素直な感じする。
バックログには申し訳ないが、今後はunfuddleを使うことにしよう。
ほうほう、と私はおもつた。
以前に『新・脱亜論』なるものを読んだ。
此の本はそれより先に進めて、そもそも日本は『別亜』である、と云ふ。
しかし自分が関心を持つたのはそこではなく、日本の大衆文化の特徴として「茶化し」の文化がある、と云ふところである。
茶化しの文化は江戸時代には確実に花開ひていた。
面白いのは茶化している人も、かなりの教養をもつた人であるといふ点。
また、偉い先生方の書物をパロつて、しかもエロ本にしてしまつた旗本の侍までいたといふから驚く。
作者が岩波書店の方に「なぜこのようなエロ本が全集にあるのか」と問うたところ、「古いものは偉いからいいんですよ」と答えているところは、ああここは日本であると大変に実感できる。
もうひとつ面白ひ指摘が、日本人は元来キレやすいという話である。
これで怒りの対象者を攻撃でもすれば、お互いの家や集団同士で報復の連鎖が起きてしまう。
それを諌めるために喧嘩両成敗という仕組みが出来上がり、また、個人個人でも怒りを胸に仕舞い込む習慣が出来上がったとかなんとか。
日本人一般につひては、日本人自体がよくわかつていないことなのかもしれない。
とりあえず自分はキレやすいといふことは認めておく。
と同時に、すぐさま怒りを心のうちに仕舞い込むことも、自分でも感心するくらいに、器用に出来る。
最近は日本人がキレやすくなったとか、いろいろと乱れているとか。もしくは知識人曰く、日本の俗化云々とか。
日本はもともとそう云う国だつたのではなひかい、と考へさせられる本であつた。
此の本を読み終はつて、納得がいつたので私は旧かな遣ひで書ひてみることとした。
ただしMacでは、どうにもわ行の「い」や「え」を変換することが出来なかつた。
そして自分はまだこの仮名の書き方をよく知らないので、正しいかどうかすら定かではない。
だから途中から普通の文体に戻ってしまふこともあるけれど、それはご愛嬌。
自分は本の意見につひてあれこれ云ふのは得意ではない。
得意でないこと無理して書く必要はないわけで、そうなると書けることと云へば「自分が何を発見することができたか」と云ふことだろう。
普遍語としての英語と現地語としての日本語。
なるほど面白ひ。
職業上英語のドキュメントに目を通すことが多いので、このことは身を持って体験している。
例えば新しいAPIが公開されたとき、そのリファレンスは英語である。
そしてそれがYahoo.comのドキュメントであれば、決して日本語化されないのである。
なぜならば日本にはYahoo!japanがあり、彼らは彼らで別のサービス形態を持っている。
となると、Yahoo.comが日本にわざわざしゃしゃり出て来る必要もなく、結果的に決してリファレンスが訳されることは、公式上は無い。
こういった経験上、つくづく必要な能力は英語を「読めること」であると思つた。
まず一番に読めることがあり、次に書けることであり、そして聞けることであり、最後に話せることではないだろうか。
世間一般では英会話こそが英語であると思われがちだが、実学の立場で云えば、英語の資料が読めないと最新の事柄は仕事に成らないだろう。
ただ読めるだけでは自分の意見を伝えることができない。
話すという行為は、その対象が近くに居なければいけないけれど、書くことは自分一人でも出来るし、時間も空間も超えることが出来る。
この本の作者は「書き言葉」と「話し言葉」違う者だということを随分と繰り返し記述しているが、それもまた面白いとおもつた。
これからは英語が読めて書ければ良いと、それは自分ではおもふ。
と同時に、日本語はどうするのかと自分なりに考えて、そこでこの旧かな遣ひの登場である。
今までの日本語がどうにもしつくりこなかつたのは、新しい日本語、つまり話し言葉の音に合わせて仮名を書くと云ふこの方法が原因なのだと「日本語が亡びるとき」を読んで何となくわかつた。
そしてなぜこのような表音文字のような書き方に改めるのかというと、結局のところ文部官僚が自分たちを進歩的人間と勘違ひして、日本語が劣つた言語であるから英語や仏蘭西語のやうにしたいと思い込んでいたことが原因のやうだ。
適当で悪いが、詳細はもう忘れた。
だがそこに隠れていたのは、かの帝国主義の時代に列強に飲み込まれまいといふ決意もまたあった訳であろうことも容易に想像がつく。
其れらは国際語としての日本語を意識したうえでの行為であつたのではないか。
今や国際語は英語である。
としたらわざわざ日本語を平易にする必要はもう無くなつた訳で、ならば昔の「書き言葉」を意識した旧かなを復活させても良いのではないかと考えるのである。※これは私の趣味である。
そういうわけで次に自分は旧かなを覚えたいと思つた。
と同時に、自ら意見を発信出来るよう「書き言葉」として英語も習得していきたいと思ふ。
TechCrunchだと、先月の末くらいに WindowsLive(米国版)がiGoogleのようなソーシャルなホームページとして機能するように変更されているとのこと。
それで一体いつに成ったら日本のWindowsLiveがリニューアルされるかと思って毎日眺めていたら、つい先日にどうもリニューアルされたようだ。
が、まだ完全ではないらしい。
らしい、というのはさもこれからリニューアルされますよ、みたいなことが書いてあるからである。
実際ログインすればホームページが変わっていることに気付くだろう。
しかし、なぜかTechCrunchで見た米国版と形が違う気がする。
しかもガジェットを埋め込めそうな形をしていながら、どこでコンテンツを追加したらいいか解らない。
なんだ結局Microsoftだったかと、とても落胆した。
SkyDriveが25GBに増えたということ以外に、これとって喜ばしいことはなさそうだ。
ある意味期待通りであり、期待はずれである。
結局私はiGoogleに戻った。
モバイルもAndroidに期待しよう、WindowsMobileではなく。
その理由は何だろう。
忙しい、といっても時間がないという意味ではなく、単に心に余裕が生まれなかったという方が表現として適切と思う。
本は沢山読んでいる。それは今も相変わらずだ。
そして想うことも色々とあり、それらを形にしたいとは考えるけれども、いざブログを書ける状態になるとやる気がなくなるのである。
これがコタツの魔力であろうか。
現在のコタツは単に下半身に汗をかかせている程度の機械に過ぎない。
コタツに入り浸るのは、何かをやろうやろうとしつつも、やる気が起きずダラダラと過ごしてしまうからである。
そんなときはとっとと寝てしまおう、と夜中の二時半くらいに思う。
それで寝る。
翌日は目は覚めても、朝の遅い時間までベッドに籠ったままである。
それからニュースリーダーで手当たり次第ニュースを読み、ほんの少し朝食を摂り、あぁ今朝も何もしなかったと後悔しながら出社する。
そんな毎日である。
外では本を読み続けるも、それらを自分の頭でうまくまとめ切れていない。
そんなことをしていたら書くことが億劫になっていた。
怠けるとろくなことが無い。
しかし、同時に働くのも碌なことでは無いと思った。
違いが有るとしたら、金がもらえるか、もらえないか。
その程度である。
何とかして今日からブログ書きを再開したいと思う。
書くことを忘れたくないと、思っているから。
私はWRC(世界ラリー選手権)が好きだ。
世界中の自然の中を走り回るモータースポーツのわけだが、つい先日その日本開催であるラリージャパンが行われた。
場所は北海道。
当然私はテレビ録画を見るしか無い。
しかし、テレビであればほぼ全戦のダイジェストを見ることができるから、これはこれでいい。
というかこれがいい。
前置きはさておき。
今回ラリージャパンを見て思ったことは、日本の森と欧州の森が明らかに違うということだ。
日本の森は欧州の森に比べて、まさに生い茂っているという表現がぴったりなくらい草は茫々だし、しかも成長を止めるつもりもないらしく森が道を飲み込もうかとしているかのような感じを受ける。
人が踏み込みづらい感じは日本の方が強いかなと。
しかしこれはテレビから見た自分の印象だし、ちっとも正確ではないや。
最近は何か良いアイデアがあっても、自分で実現出来なさそうなものはペラペラとしゃべることにしている。
どこかの誰かさんがそのアイデアを聞いて、実現してくれるかもしれない。
アイデアの源泉が「これがあれば便利なのに」という発想だから、既にあるか誰かが作ってくれるのであれば他人に任せてしまえばいいのだ。
そして本当に自分で作りたい物だけ、今すぐ作り始める。そうすればきっと便利になるはずのアイデアはどこかの誰かが実現してくれるし、自分のやりたかったアイデアに今すぐ取り組むことも出来る。
これでお互いがハッピーだ。
でも現実は権利だのお金だの絡んで来るから、ここまで平穏無事に進まないことの方が多いのだろうな。
おかげでイノベーションとやらが遅れる訳だ。困った困った。
ゲーム業界が本腰を入れて潰してしまいたいマジコン。
ニンテンドーDSのコピーソフトとマジコンを販売していた男性らが逮捕
違法コピーばかりで遊ばれてはゲーム産業が干上がってしまうのは確実だろう。
しかしなぜマジコンがこれほど支持されているのか、そのあたりも考えてほしいところだ。
マジコンは時代の潮流に乗っている
違法コピーを擁護しているわけではない。
しかし、
- ネット上からダウンロードでソフトを手に入れることが出来る
- 複数のソフトを一つのカートリッジにまとめて入れることが出来る
- ソフトの切り替えが出来る
- 本体機能にない追加機能をマジコン側で足すことが出来る
問題は違法コピーであって、上記のような利便性について問題があるわけではあるまい。
事実、ユーザー側からしてみれば、ソフト毎にいちいちカートリッジを付け替えるのは手間である。
また、品薄の商品を日々ゲームショップに足を運んで探したりするのは骨の折れる仕事だ。
ゲーム会社からすれば、間に問屋を挟むこと無く、しかもソフトウェアだけを配信すればよくなるからいくつもの利を得ることもできる。
公式のマジコンが普及して一番厳しくなるのはゲームショップであって、ゲーム会社とエンドユーザー側からするとむしろ得することが大きいのだ。
現在携帯ゲーム機としては確かにDSが圧倒的では有るけれど、AppleのiPhoneやGoogleのAndroidが携帯の枠を超えてマルチメディア端末としてゲームの領域に入ってくることは充分に考えられる。
iPhoneにはAppStoreが、AndroidにはAndroidMarketというソフトウェアを配信できる場所があり、Androidに至っては開発者が自由に制作し、自由に配布することが出来る。そして売り上げも100%バックされる※(AppStoreでは30%が上納金)。
※AndroidMarketでも
開発者がアプリをアップロードするには25ドルの登録料が必要。有料アプリでは、売り上げの7割が開発者に、残りは通信キャリアと課金プロセス費に充てられる。
「Android Market」オープン——まずはSkypeツールなど無料アプリが約50本 - ITmedia News
ということでした。ご指摘ありましたので修正しました。
黒船のような連中がオープンな戦略を推し進めている今、日本のゲーム業界もソフトウェアの考え方を改めて欲しいところである。
ユーザーにとって何が一番得であり、利便性があるか。
それを実現した企業が最大の利益を得られることは間違いないのだから。
このブログはWordPressというブログソフトで動いているが、世界中のデザイナーが作ったテーマにころころと変更することが出来るのが、飽きっぽい自分としてはとても性にあっている。
日本のASPサービスのような余計な機能もなく、かといって必要な機能はプラグインで付け足せば良いというこの作りは一度使い始めるともうASP型には戻れない。
ただ問題もある。
デザイナーのほとんどが外国人、それもアルファベット圏の人たちばかりなので、ぱっと見素晴らしいデザインテーマでも日本語を当てはめた途端にしょぼくなるということがたびたびある。
今回の変更でも、日本語に適さなかったという理由で却下されたテーマがある。
かつてカナダ人のデザイナーと一緒に働いたことがあるが、アルファベットとは要領が違うみたいで「難しい」と云っていた。彼らの感覚でデザインするとフォントが小さくなって読みづらくなってしまうのである。
それにフォント自体の種類も少ないし、デザイナーを苦しめる言語であることは間違いない。